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プロフィール
みゃーの
愛知川(+野洲+京都白川)と 北陸(能登+金沢)にルーツを持つ、 近江八幡市民(新興住宅地そだち)。三十路。
おとんは京大理学部(いちおう)卒、おかんは奈良女子大理学部(生物)卒、本人は高卒ですがそれがなにか?
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2010年12月21日

伊勢遺跡、天安河原。

伊勢遺跡というのは、守山市にある弥生時代後期(紀元1~2世紀)に最も栄えたとされる集落の遺跡です。

守山市の伊勢遺跡解説ページはこちら。

魏志倭人伝に記されている「邪馬台国」の時代は239年以降、3世紀初めですから、ちょっと時代はズレてます。推定年代によれば、「伊勢遺跡」は「邪馬台国」より古い。

しかし、この伊勢遺跡がスゴイんです。

大型建物が円形に並んでいた!!


こんな感じで!!※画像は守山市サイトよりお借りしました。

かっこいいです。これ邪馬台国だったら素敵やん。
と、そりゃまあ思うのですが、うーん、どうなんでしょうね。


さらにいろいろ読みますと、
「円周状の建物群の外側で床面積が185㎡を測る大型竪穴建物が発見されました。この建物の壁にはレンガ状の焼物が置かれ、床が赤く焼かれており、特殊な建築技術がみられました。」 ここより引用)
床が焼き固められていたというんですね。・・・なんのために!?

そらコメですやん。
米倉ですやん。ちゃいますん?

お隣の野洲市では日本最大の銅鐸が出土していて、しかも「近畿式」のものと「三遠式」の両方が見つかります。これまた何か、弥生期に権力、富が集中する場所であったらしい。・・・この場所にいったいどんな秘密が・・・!?

そらコメですやん。
野洲の人たちが真面目に田んぼの面倒見てたから、蓄えができて、他の国も養うほどになった。銅鐸と引き換えに。
卑弥呼のフシギな力だとか、東西の情報だとか(その時代に遠くの村の一体何を知りたいというのでしょう?泥棒しに行くんだろうか?)、そんな物なくたって、野洲川流域が弥生時代に栄えたことの理由なんて、はっきりしていると思います。コメがあんじょう育つ土壌と気候があったから。


でも、人はコメのみにて生くるにあらず。ご飯が足りたら、きれいな着物も欲しい、広いおうちも欲しい。だったら、交換しよう。
お米たくさん持ってる国、機織が得意な国、大工仕事が得意な国。それぞれの代表みんなで相談しよう、そうしよう。米の収穫を終えた神無月に。
たぶんそれが神話の、「八百万(やおよろず)の神」が集まって会議を開く、ということだったのではないでしょうか。

日本建国神話を記した日本書紀・古事記(以下、記紀)には、その会議場は、「天安河(あまのやすかわ)」の傍にある「天安河原(あまのやすがわら)」という名で登場します。

邪馬台国へ行く道は、野洲川を通っていました。
だったら、そこが「神話」の地とされる天安河である、ということに、異論あるでしょうか。
神話はあくまで神話でなければならない、と思われるでしょうか。


天安河が流れるその場所が、「高天原(たかあまはら、たかまがはら)」です。
そこを治める最高神が「アマテラス」、天照大神(あまてらすおおみかみ)とされます。
アマテラスと同時に生まれたとされるのがスサノオ、ツクヨミ。スサノオはヤマタノオロチ退治のエピソードが有名ですね。アマテラスともたびたび対立したと、記紀に書かれています。

さてツクヨミ。
この神様はアマテラス・スサノオに比べ、記紀ではほとんど活躍しません。月の神様だとか夜を支配していたとか海を支配していたとかなんとかかんとか書いてはあるようですが、どうもただの名前からの連想でしかないような雰囲気です。

月読み。まるで占い師みたいでもありますが、月を読むことが必要な仕事は他にもありますよね。
潮の満ち引きを予測する漁師と、月の周期を参考にして、栽培スケジュールを立てる、米農家。
コメですやん、コメ。高天原で、ツクヨミ一族はコメを作っていた。

そしてこちらがツクヨミ神の末裔たちのカミワザですわ(^^



滋賀が神話の舞台だったなんて、冗談みたいな話だと思われるかもしれません。
でもだまされたと思って、そんな可能性もあると、考えてみてください。


追記:伊勢遺跡はこちらでも紹介されています。
http://himiko135.shiga-saku.net/e652402.html

タグ :守山野洲

Posted by みゃーの at 21:34 │Comments(0)
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