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プロフィール
みゃーの
愛知川(+野洲+京都白川)と 北陸(能登+金沢)にルーツを持つ、 近江八幡市民(新興住宅地そだち)。三十路。
おとんは京大理学部(いちおう)卒、おかんは奈良女子大理学部(生物)卒、本人は高卒ですがそれがなにか?
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2011年09月12日

東漢氏と伊都国

引き続き、魏志倭人伝の行路からです。
邪馬台国近江説はじめました
使者はどこから来た?
のあとにお読みくださいまし。

「帯方郡」からの使者は、おそらくこんな感じで来ました。
東漢氏と伊都国

魏志倭人伝にはそれぞれの国について、次のように説明があります。
対海国
大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。居る所絶島にして、方四百余里ばかり。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へいく。
一支国
官は対海国と同じ。方三百里ばかり。竹、木、草むら、林が多い。3000の家族が住める。田畑はあるが足りず、市へいく。
末廬国
4000余戸が有る。草木が茂り、前を行く人が見えない。魚やアワビを捕るのを好み、皆が潜る。
「対海国」「一支国」の名称は後から書き換えられたものだとしても、その概要は、公孫氏の使者が伝えた通りの元のままなのかもしれません。
それぞれ、佐渡島、能登半島に対しても当てはまるのではないでしょうか。
「対海国」は島だと書いてあるのに対して、「一支国」は書いてない。これが壱岐島だとするなら、島だと書いてないのはおかしいです。少々、小姑めいたツッコミではありますが(^^;
そして実際、佐渡や能登の方言は関西弁に近いのだそうです。

さて
(最初にこの記事書いたとき、原理を思い切り間違っていたのですが(^^;;;)
中緯度にある日本付近では、偏西風が吹いている。
(冬に、西高東低の気圧配置、によって北西の強い風が吹く。)
春になると、この気圧配置が弱まり東風が吹く(※気圧配置が変化する際に起こるようです・・・正直よく理解できてません(^^; ですが、このルートは後に“渤海”という国との交易で実際に使われました)。
使者が、風向きの変化を利用して行き来したならば、風向きがかわるまで邪馬台国側で待機しなくてはなりません。

伊都国についてはこう書かれています。
伊都国
長官は爾支(にき)、副官は泄謨觚(せもこ)と柄渠觚(へくこ)。1000余戸が有る。世王が居るが女王国に属する。帯方郡の使者の往来では常に駐在する所
うん、ここで使者は風向きが変わるまで待機していた。そういうことでしょう。


この伊都国、従来の邪馬台国論でも重要な国と見なされています。
女王の他に王を持っている。また別の箇所の記述には、各国を見回る役人が伊都国に常駐していた、とあります。

この、“副官”の名前が一風変わってます。ほかの人名は、卑狗(ひこ)、卑奴母離(ひなもり)、彌彌那利(みみなり)などなど、「やまと言葉」的な音のようなのですが、この人達の名はやや違う響きです。
泄謨觚(せもこ)柄渠觚(へくこ)
隣の「奴国」にも似たような名があります。長官、兕馬觚(しまこ)。伊都国からの出向でしょうか。

でも、もう少し後の時代の日本史には、そんな名前の人が登場しますよね。
小野妹子(いもこ)とか蘇我馬子(うまこ)とか。
そして二人とも「聖徳太子」と同時代の人物である・・・、というかはっきり言って同一人物やろ、という結論はとりあえず置いておきますが、
妹子さん・馬子さんとは、その時代に大和朝廷で大きな力を持っていたという「東漢氏」の人ではなかろうか。

そして「東漢氏(やまとのあやうじ)」とは、もともとは邪馬台国の時代に、「伊都国」、滋賀県の旧伊香郡に移り住んだ、またそこから各地へちらばった、漢の人たちではないでしょうか。


古保利古墳群数多くの観音像からも、そこが際立った何らかの歴史を持つ地だということは分かります。
でもそれだけではなく、後の時代にそこで生まれた人たちの業績もまた、伊都国がどんな場所だったかを雄弁に語っている、と思います。
儒学者?雨森芳洲(wikipediaを読むと、中国語・韓国語を流暢に操る外交官でもあったとか)。豊臣秀吉の軍師・黒田如水。
ヤンマー創業者・山岡孫吉氏。大きなものから小さなものまで動かす力だヤンマーディーゼル。
そのほか湖北発チェーン展開の酒屋さん本屋さん、わたくし大変お世話になってます。
そして、bjリーグ・滋賀レイクスターズ代表、坂井信介氏。

東漢氏と伊都国東漢氏と伊都国

漢と書いて「おとこ」と読む、その理由が分かる気がします。


じゃあ邪馬台国は優秀な漢の人に支配された国だったのか。というと、そこは魏志倭人伝にも伊都国の王はあくまで伊都国の王として書かれている通りと思います。

一方、日本神話では、高天原で主導権を握っていたとされるのはアマテラスです。同時に生まれたとされるのがツクヨミ、そして、スサノオ。
スサノオは、一時は武力行使でもってアマテラスを制圧しますが、やおよろずの神々が相談した結果「やっぱしアマテラスさんやないと」ってことになって、天岩戸(あまのいわと)で隠遁生活してたアマテラスを引っ張り出します。なかなかに民主政治ですやん。

※前言撤回のおしらせ(>_<) 2011年09月21日
ここから---------
で、その神話の構図に当てはめるなら、
「スサノオ」=伊都国の王、でしっくりきます。
ただし、じゃあアマテラスは女王卑弥呼なのかというと、そこは違う気がしています(この件は、またいずれ)。


でもね、この「スサノオ」ってのが、出雲神話(日本神話出雲編)の登場人物でもある。けっこう無理がある二股です。
出雲の勢力ってのは葦原中国(あしはらなかつこく)にいて、高天原と対立していたとされている。
スサノオが、高天原と出雲をひらひらと行き来していたというのは、土台おかしな話です。

もしも、高天原でアマテラスと互角に渡り合っていたこの「神」の名が、「東漢氏」の祖先のものだったとしたら。
有能で野心的なその一族を権威付けるその名前を、のちに(一時的に)政権を掠め取って自分達に都合よく日本書紀・古事記を書き換えた人々が、放っておくわけないです。彼らにとっては、いの一番にその歴史はデリート対象でしょうね。
適当な名前を他のストーリーからコピー&ペーストで上書き、で任務完了です。お茶の子さいさいですね。平気でウソをつける人たちにとっては。
---------ここまで
この記事を書いたあと、いろいろ調べて考えるに、「出雲のスサノオ」の一族(というより民族)というのは、かなりあちこち進出してます。そういう人達のようです。そのうちの一派が高天原(邪馬台国)にいてもおかしくはなく、あとでその一族の話をまとめて「スサノオ」の物語としたのなら、スサノオが神出鬼没でも全く不思議ではありません。
言う事変わってごめんなさいね。
---------追記ここまで

まあ、なんだか私、あれがウソこれがウソばっかり言ってるみたいですが
実際、残念なことですが、もろもろの本当のことは、見つからなかったんじゃなくて隠されてきたんです。
本当の歴史を探り当てることは、すなわち、歴史を捻じ曲げてきた「悪意」を洗い出して白日に晒すことでもある。
ほんま難儀なことです。
ほんまにほんまに難儀なことですが、それは避けて通れない。


さて、とにかく何にせよ、
「スサノオ」の名で語られる漢の人よりも、アマテラスが選ばれた理由は何だったのでしょう。
占いでしょうか。妖術でしょうか。美貌でしょうか。んな。合理的でしたたかな滋賀県民なめたらあかんわ。
アマテラスが支持された理由は、ただの「信頼」だと思う。

邪馬台国は、小さな国の集まりです。異なる文化・価値観を持つ国々がつながるメリットがあるならば、それは交易です。余っている物をあげて、足りないものを貰う。そうすればみんなハッピー。三方よしです。
でもそれは簡単ではない。誰だって多く貰うほうがいいですもんね。
取りまとめる人が必要です。公正に、節度を持って。

だったら、アマテラス=ヤマトの人って、近江商人です。
その源流になった人たちです。
そして、外交は東漢氏が担う、「摂政制度」の原型はこの頃すでにあった。

そう考えれば、滋賀県が邪馬台国の中心だったという事の、現実的なイメージが湧きませんか?
まじないや英雄譚に彩られたファンタジーではなく。


邪馬台国は宙に浮いた絵空事の国なんかではなくて、太古から今日までずっと続いている、歴史の一部分です。
3世紀前半のヤマトの国は、その前の出来事にもその後の出来事にも、そして現代の私たちにもつながってる。

・・・ですので、今後も話はあちこちに飛びますがご容赦くださいませ(>_<)

Posted by みゃーの at 14:41 │Comments(1)
この記事へのコメント
近江で鋳造ができたところがヤマタイに近い場所だと思ってます 仏教伝来の前かあとにきた クラツクリのとりというヒトが好きです だぶんとらいじんです 歴史に忠実かわかりませんが山岸良子の日の出るところの天子が好きです漫画ですが とてもおもしろかったです また次のブログ期待しています ありがとうございました 宮津の間人 たいざは聖徳太子の母の伝説があります ここから京にはこれたでしょうか? 謎て楽しいですね
Posted by小熊at2011年09月12日 15:04
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